松平 光重(まつだいら みつしげ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての三河国の武将。額田郡岡崎および大草(愛知県幸田町北部)を所領とした大草松平家初代当主。

経歴

松平氏3代当主・松平信光の五男として生まれる。光重の当初の根拠地は額田郡山間部の蓬生・生平辺りにあったものと推測されている。松平氏は応仁の乱が三河国へ波及するに乗じて勢力を伸長させ、岡崎城(明大寺旧城)の西郷氏と対立するが、文明年間までには同氏を屈服させた。この際の和睦により光重は西郷頼嗣の婿養子となり、岡崎城・山中城を継承した。

延徳4年(1492年)既に入道して栄金と改めていた光重は、子の親貞と連名で額田郡蓬生の小島正秀へ所領宛行を、明応2年(1493年)には六所神社神主大竹氏へ替地宛行をそれぞれ行っている。また明応3年(1494年)には惣領家の奉行として大樹寺へ安堵状を発給している。この後に家督は嫡男の親貞に譲られ、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」では親貞の名が見られる。その後は形原松平家後見のため形原城に移り、文亀2年(1502年)には兄・与副の菩提寺となる光忠寺を建立している。晩年は大草に住み、永正5年(1508年)没と伝わる。大草領は次男の信貞が、形原領は三男の貞光が継承した。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 村岡幹生「大草・岡崎松平家の光重・貞光父子と初期の形原松平家」『愛知県史研究』 12巻、愛知県、2008年。 
  • 小川雄「戦国・豊臣大名徳川氏と形原松平氏」『戦国期政治史論集』 西国編、岩田書院、2017年。ISBN 978-4-86602-013-6。 
  • 柴裕之「戦国・織豊期の徳川家康の動向と研究」『徳川家康』戎光祥出版〈シリーズ・織豊大名の研究〉、2021年。ISBN 978-4-86403-407-4。 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 中世、新編岡崎市史編さん委員会、1989年。 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 史料 古代中世、新編岡崎市史編さん委員会、1983年。 
  • 新編岡崎市史編集委員会 編『新編岡崎市史』 総集編、新編岡崎市史編さん委員会、1993年。 
  • 林英夫 編『愛知県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1981年。ISBN 978-4-582-91038-4。 
  • 国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 13巻、吉川弘文館、1992年。ISBN 978-4-642-00513-5。 
  • 『朝野舊聞裒藁』 1巻、東洋書籍出版協会、1923年。 

戦国時代の人物・武将「松平昌久 (大草松平家)」の生涯大切にしたい名言など。戦国時代の人物・武将の言葉から座右の銘を見つけよう 元気に

松平家忠 〜家忠日記の著者・松平家忠の孫である忠房が初代藩主を務めた島原藩の深溝松平家上屋敷跡にある明治大学発祥の地めぐり〜 どうする家康

松平昌久〈大草松平家〉歴代登場作品【どうする家康】 YouTube

松平氏

松平昌久〈大草松平家〉歴代登場作品【どうする家康】 YouTube