マグナーテン(欧字名:Magnaten、1996年4月18日 - 2024年9月16日)は、アメリカ合衆国で生産された日本の競走馬。主な勝ち鞍に2001年の関屋記念、2002年の毎日王冠、関屋記念、2003年のアメリカジョッキークラブカップ。
戦歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ
1999年7月11日、福島競馬場での4歳未勝利戦でデビューし、6着。1999年中は6戦して2着が最高の成績で、休養中に去勢される。翌2000年、5歳2戦目の5月の盛岡競馬場での指定交流競走フレンドリーカップでようやく初勝利をあげる。以降は500万下条件を4戦2勝、900万下条件クラスに上がって2戦1勝の成績を記録する。2001年を迎え、初戦の阪神競馬場での900万下特別丹波特別を勝ち、続く東京競馬場での1600万下特別フリーウェイステークスをコースレコードで優勝してオープン入り。オープン2戦目の朱鷺ステークスを勝って臨んだ関屋記念でクリスザブレイヴ以下を下して、1分31秒8の基準タイムで重賞初出走・初勝利を挙げた。この時の基準タイムは、2012年の同レースでドナウブルーに更新されるまで残っていた。秋は毎日王冠と富士ステークスでともに1番人気に支持されるも4着、7着に終わって休養に入った。
6歳となった2002年、初戦のマイラーズカップから3戦は勝てずじまいも、夏に入り新潟競馬場でのNSTオープンを1分19秒0のレコード勝ち、続く関屋記念も連覇を果たして秋シーズンを迎え、中山競馬場での毎日王冠でもエイシンプレストン、ダンツフレームらを退けて3連勝とした。11月のジャパンカップでもファルブラヴの4着に逃げ粘った。
7歳時には初戦のアメリカジョッキークラブカップに勝ち、産経大阪杯でもタガノマイバッハの2着に入ったのち秋にはオーストラリアのG1コックスプレート出走を目指したが断念。富士ステークス11着、マイルチャンピオンシップ10着、追加登録して遠征した香港カップもスタートで後手を踏み13着と2003年の後半戦は二桁着順を重ねる結果に終わった。
8歳となった2004年も初戦の産経大阪杯で8番人気ながら前年の二冠馬ネオユニヴァースと競り合い2着に粘ったが、以降3戦は勝てず、2005年もアメリカジョッキークラブカップに向けて調整を進めていた矢先に調教中に左前浅屈腱不全断裂で競走能力喪失と診断され、引退した。獲得賞金4億5299万5000円は当時の騸馬としては日本最高賞金獲得記録であった。
引退後は札幌市清田区のモモセライディングファームで繋養されて余生を過ごしていたが、2024年9月16日に死亡した。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com、JBISサーチおよび香港ジョッキークラブの情報に基づく。
- 海外の競走の「枠番」欄にはゲート番を記載
- 香港のオッズ・人気は香港ジョッキークラブのもの(日本式のオッズ表記とした)
- 馬場状態:GF=Good to firm
血統表
- 母・マジックナイトはヴェルメイユ賞勝ち、凱旋門賞とジャパンカップ2着。
脚注
注釈
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeibaKEIBA.GO.JP、JBISサーチ、agnaten Racing Post
- マグナーテン(USA) - 競走馬のふるさと案内所
- マグナーテン - 引退名馬(名馬.jp)



