ディーノ・ベガノヴィッチ(Dino Beganovic、2004年1月19日 - )は、スウェーデン・ボスニア・ヘルツェゴビナのレーシングドライバー。
2022年フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップチャンピオン。フェラーリ・ドライバー・アカデミーの一員。
マスメディアによっては「ディノ・ベガノビッチ」「ディーノ・ベガノビッチ」と表記される場合もある。
経歴
カート
2011年にカートレースを始めた。2018年にはスウェーデン国内の複数のカート選手権でOKジュニアカート 部門で優勝。2019年、スウェーデンカート選手権とイタリアカート選手権のOK部門で優勝し、WSKユーロシリーズでは2位に入った。
下位フォーミュラ
2020年、プレマ・パワーチームからイタリアF4選手権でフォーミュラカーレースデビュー。開幕戦ミサノ・レース3で3位表彰台を獲得すると、第2戦イモラではポールポジションを獲得。第4戦ムジェロではダブル表彰台を獲得し、第6戦イモラ・レース2でシングルシーターレース初優勝を飾り、3レース全て表彰台を獲得した。 イモラでの優勝を含む表彰台6回、179ポイント獲得し、ガブリエレ・ミニ、フランチェスコ・ピッツィに次ぐランキング3位で終えた。また、ADAC・フォーミュラ4選手権でプレマから2戦スポット参戦し、12ポイント獲得した。
FR・ヨーロピアン・チャンピオンシップ
2021年にF3デビューを果たし、プレマからF3・アジア選手権とフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップに参戦。開幕戦ドバイで2レースで2位に入ると、2戦参戦した残りのレースでも2回表彰台を獲得し、5回のルーキー優勝を飾り、ランキング7位。
シーズン前半は苦戦を強いられ、前半戦終了時点で獲得ポイントは12点で、最高位は8位2回。シーズン後半が始まると、スパで4位およびルーキー優勝を果たすと、ムジェロでは初表彰台を獲得。最終戦モンツァで初のポールポジションを獲得するが、首位争いの最中にチームメイトのダビド・ビダーレスと接触しリタイアに終わった。ルーキー優勝1回、表彰台1回、53ポイント獲得し、ランキング13位で終えた。
2022年のプレシーズン中、ムンバイ・ファルコンズからフォーミュラ・リージョナル・アジアン・チャンピオンシップに参戦。開幕戦はマシントラブルで思うような結果を残せなかったが、第2戦ドバイで2位表彰台を獲得。第3戦ドバイ・レース2で優勝し、前日のレース1では3位表彰台を獲得した。第4戦は無得点に終わったが、最終戦ヤス・マリーナではダブル表彰台を獲得し、優勝1回、表彰台5回、130ポイント獲得し、ランキング5位で終えた。
ベガノヴィッチはプレマよりフォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ参戦2年目を迎える。開幕戦モンツァ・レース1でFRECA初優勝を挙げ、翌日に行われたレース2では2位表彰台を獲得した。第2戦イモラでは当初トップチェッカーを受けたガブリエレ・ミニがペナルティで後退し、繰り上げ優勝となった。第3戦モナコで3勝目を挙げると、第4戦ポール・リカールで表彰台を獲得し、チャンピオンシップポイント63ポイントとリードを広げた。第5戦ザントフォールト・レース1では連続表彰台獲得記録は途切れたものの、レース2では3位表彰台を獲得した。第6戦ハンガロリンクでは2レース共表彰台を逃したが、第7戦スパでは勝利し、第8戦レッドブル・リンクでは2回目のダブル表彰台を獲得し、最終戦ムジェロ・レース1で4位に入り、ドライバーズタイトルを獲得。優勝4回、表彰台13回、300ポイント獲得し、FR・ヨーロピアン・チャンピオンシップのシリーズチャンピオンを獲得。
2023年初頭、F3参戦前にムンバイ・ファルコンズから新たに名称が変わったフォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップに復帰し、2戦スポット参戦。開幕戦ドバイでは ガブリエレ・ミニとの激しい首位争いを制して優勝を飾ると、続くクウェート・レース1で優勝、レース3で5位に入り、62ポイント獲得し、ランキング11位となった。
FIA F3選手権
2022年9月20日、プレマはポール・アロン、ザック・オサリバンと共にヘレスで3日間のFIA F3テストに参加すると発表した。1か月後にFIA F3選手権に参戦することが発表され、「FDAはプレマで2023年のF3シートを獲得するためにあらゆることを行う」ことになった。開幕戦バーレーン・スプリントレースで予選8番手から4位に入り、続くフィーチャーレースで3位に入り、初表彰台を獲得した。第2戦メルボルンで予選8番手に入り、スプリントで5位に入ったが、フィーチャーレースでのファイナルラップでカイオ・コレットとの接触によるペナルティを受け、13位に後退した。第3戦モナコでは予選で最速ラップを叩き出し、最前列からのスタートとなった。スプリントレースでは無得点に終わったが、フィーチャーレースでは2位表彰台を獲得した。第4戦バルセロナでは、ベガノヴィッチが「得意なサーキットではない」と語っており、スプリントレースではグレゴワール・ソーシーとの接触でリタイアしたが、フィーチャーレースでは3位表彰台を獲得し、ランキング3位に浮上した。第5戦オーストリアの予選では2番手に付けたが、わずか0.004秒差でポールポジションを逃した。フィーチャーレースではタイヤの摩耗が激しくなり順位を落としたが、レース後に「レース序盤にハードにプッシュした結果」だと述べた。
第6戦シルバーストンの予選では、フライングラップを刻む前にエンジントラブルが発生し、最後尾からのスタートを余儀なくされた。2レースともに予選最下位からのスタートだった影響もあり、初の無得点レースに終わった。第7戦ブダペストの予選ではフロントロースタートからスタートし、フィーチャーレースではオサリバンに2秒差で2位フィニッシュした。第8戦スパのスプリントレースではガブリエル・ボルトレトとの接触によるペナルティを受け23位、フィーチャーレースでは濡れた路面でのレース戦略でミスが響き16位に終わった。最終戦モンツァでは予選タイムが抹消され、23番手からのスタートとなったが、フィーチャーレースでは追い上げを見せ、9位に入った。ルーキーイヤーながら表彰台4回、96ポイント獲得し、ランキング6位に入り、未勝利ドライバーの中では最上位となった。
シーズンオフにヘレスで行われたテストに参加し、2日目に全体の最速タイムをマークした。また、プレマからアロン、ミニと共にマカオグランプリに出場し、予選レースで4位に終わった後、決勝レースではミニを追い抜いて2位を狙おうとした際にクラッシュを喫した。
2024年に引き続きプレマ・レーシングからFIA F3に参戦。チームメイトはミニとレッドブル・ジュニア所属のアービッド・リンドブラッド。開幕戦バーレーンで初のポールポジションを獲得したが、スプリントレースでのオープニングラップで接触しピットインを余儀なくされ、フィーチャーレースでスタート時のトラブルが発生し後方に下がり散々な結果に終わったが、驚異の追い上げを見せ13位でフィニッシュした。第2戦メルボルンでの予選で3番手を獲得し、 スプリントレースでは6位チェッカーを受けたが、セバスチャン・モントーヤをコースアウトさせたとしてペナルティを受け、13位に降格した。フィーチャーレースではチームメイトのミニ、トップを走っていたレオナルド・フォルナロリを抜きF3初優勝を飾った。第3戦イモラはスプリントレースで4位、フィーチャーレースで5位と好調を維持した。
第4戦モナコではスプリントレースを7位、フィーチャーレースを6位で終えたが、予選時での赤旗中断の影響で順位を上げる機会を奪われた。第5戦バルセロナでは厳しい週末となり、2レースともに8位に終わった。第6戦オーストリアの予選では5番手となったが、1周目のスピンで後方に下がり、15位でフィニッシュした。続くフィーチャーレースではレース序盤で2位に浮上し、レースの大半でルーク・ブラウニングの後ろについてDRS圏内に留まったものの、チームメイトのミニにかわされ3位に終わった。第7戦シルバーストンでは予選で不運が重なり、その影響で両レースともに入賞圏外に終わり、シーズン初の無得点レースとなった。第8戦ブダペストのスプリントレースでリバースポールを獲得したが、スタート時にニキータ・ベドリンに敗れ、更にタイヤの摩耗が激しく、ベドリンへのオーバーテイクに失敗して順位を落とし、3位でフィニッシュした。フィーチャーレースでは9位に終わった。
第9戦スパの予選で2度目のリバースポールを獲得し、 スプリントレースでミニの猛追をかわし、2勝目を挙げた。しかしフィーチャーレースでは11位に終わり、タイトル獲得の可能性は無くなった。最終戦モンツァではスプリントレース4位、フィーチャーレース9位に終わった。優勝2回、PP1回、表彰台4回、109ポイント獲得し、前年と同じランキング6位で終えた。シーズン終了後にプレマからマカオグランプリに出場し、決勝レースでは8位に終わった。
FIA F2選手権
2024年、ファン・マヌエル・コレアに代わってDAMS・ルーカスオイルからFIA F2選手権終盤2戦に起用され、ジャック・クロフォードと組んだ。 デビュー戦となったカタールでは予選4番手を獲得。スプリントレースで宮田莉朋に追突されてスピンし、10位とポイントを獲得できなかったが、フィーチャーレースでは5位に入った。続く最終戦アブダビでは予選5番手を獲得。スプリントレースは4位でチェッカーを受けたが、アロンがレース後に失格となったため3位に繰り上がり、F2レース3戦目にして初表彰台を獲得した。翌日のフィーチャーレースではギアトラブルを抱えながらも7位でフィニッシュ。22ポイント獲得し、ランキング20位で終えた。
2025年、ハイテック・TGRに移籍し、ウィリアムズ・ドライバー・アカデミー所属のルーク・ブラウニングをチームメイトとして迎える。
フォーミュラ1
2020年初めに、フェラーリ・ドライバー・アカデミーに加入することが発表された。新型コロナウイルス感染症によるロックダウンの中、バーレーン・バーチャルGPでフェラーリから出場した。
人物
ベガノヴィッチはスウェーデンにあるリンシェーピングで生まれた。両親は生まれる前にボスニア・ヘルツェゴビナからスウェーデンに移住している。サッカーチーム・オートヴィーダベリFFに所属している弟のエミールがいる。
母国語であるスウェーデン語やボスニア語の他に、英語とイタリア語が話せる。
シミュレーションレーサーで、チーム・ロングラインのメンバーであった。新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの間に、多くのレースやイベントに参加していた。
レース戦績
略歴
- * 現在シーズン中。
イタリアF4選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
ADAC・フォーミュラ4選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
フォーミュラ・リージョナル・アジアン・チャンピオンシップ
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- † リタイアだが、75%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
フォーミュラ・リージョナル・ヨーロピアン・チャンピオンシップ
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- † リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い。
フォーミュラ・リージョナル・ミドル・イースト・チャンピオンシップ
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
FIA フォーミュラ3選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
マカオグランプリ
FIA フォーミュラ2選手権
- 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
- * 現在シーズン中。
脚注
外部リンク
- ディーノ・ベガノヴィッチ - DriverDB.com
- 公式ウェブサイト



