南佐久郡(みなみさくぐん)は、長野県の郡である。

人口21,554人、面積767.42km²、人口密度28.1人/km²。(2025年2月1日、推計人口)

以下の2町4村を含む。

  • 小海町(こうみまち)
  • 川上村(かわかみむら)
  • 南牧村(みなみまきむら)
  • 南相木村(みなみあいきむら)
  • 北相木村(きたあいきむら)
  • 佐久穂町(さくほまち)

郡域

1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2町4村に佐久市の一部(内山、瀬戸、中込、桜井、伴野、根岸、東立科、前山より南東)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている、信濃国佐久郡のうち後の本郡域の明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地が存在。(1町95村)
  • 慶応4年2月17日(1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
  • 明治2年
    • 2月30日(1869年4月11日) - 幕府領が伊那県の管轄となる。
    • 6月22日(1869年7月30日) - 任知藩事にともない田野口藩が改称して竜岡藩となる。
  • 明治3年9月17日(1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
  • 明治4年
    • 6月2日(1871年7月19日) - 竜岡藩が廃藩。国内の領地は中野県の管轄となる。
    • 6月22日(1871年8月8日) - 中野県が改称して長野県となる。
    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により藩領が小諸県岩村田県の管轄となる。
    • 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により全域が長野県の管轄となる。
  • 明治7年(1874年)12月 - 前山新田・中村・下村が前山村に合併。(1町92村)
  • 明治8年(1875年)(1町88村)
    • 下桜井村・中桜井村・桜井新田・上桜井村が合併して桜井村となる。
    • 湯原新田村が湯原村に合併。
  • 明治9年(1876年) - 下記の町村の統合が行われる。カッコ内は日付。(62村)
    • 海瀬村 ← 海瀬新田、下海瀬村、上海瀬村(8月2日)
    • 豊里村 ← 鎰掛村、馬流村、八那池村、松原村(同上)
    • 千代里村 ← 本間川村、宮下村、本間村、馬越村、五ヶ村新田(同上)
    • 穂積村 ← 樋口村、崎田村
    • 大明村 ← 板橋村、樋沢村(5月30日)
    • 伴野村 ← 下県村、下県新田、下平村、相浜村(5月)
    • 常和村 ← 山田村、北沢村、清川村(8月2日)
    • 田口村 ← 上中込村、田野口村(同上)
    • 畑村 ← 大窪村、中畑村、下畑村、上畑村
    • 根岸村 ← 竹田村、糠尾村、沓沢村、平井村(5月)
    • 稲子新田村が稲子村に合併。(8月2日)
    • 平賀新町が平賀村に合併。(8月2日)
    • 大沢新田村が大沢村に合併。(6月)
    • 上村新田村が上村に合併。(5月)

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年)1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、佐久郡のうち62村の区域に行政区画としての南佐久郡が発足。郡役所を臼田村に設置。
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・佐久市。(23村)
    • 臼田村 ← 臼田村、下小田切村、勝間村
    • 野沢村 ← 野沢村、原村、取出町村、高柳村、鍛冶屋村、本新町村、跡部村、三塚村
    • 中瀬村 ← 下中込村、瀬戸村
    • 川上村 ← 居倉村、原村、御所平村、大深山村、秋山村、梓山村、川端下村、大明村[樋沢](現存
    • 南牧村 ← 海尻村、海ノ口村、広瀬村、平沢村、大明村[板橋](現存
    • 北牧村 ← 豊里村、千代里村、稲子村(現・小海町)
    • 小海村(単独村制、現・小海町)
    • 南相木村北相木村(それぞれ単独村制。現存
    • 穂積村(単独村制、現・佐久穂町)
    • 海瀬村 ← 海瀬村、余地村(現・佐久穂町)
    • 大日向村(単独村制、現・佐久穂町)
    • 畑八村 ← 畑村、八郡村(現・佐久穂町)
    • 栄村 ← 高野町村、上村、宿岩村(現・佐久穂町)
    • 青沼村 ← 入沢村、平林村
    • 切原村 ← 湯原村、上小田切村、中小田切村、中小田切新田村
    • 大沢村(単独村制)
    • 田口村 ← 田口村、下越村、三分村、常和村[山田・北沢]
    • 平賀村 ← 平賀村、常和村[清川]、大田部村
    • 内山村桜井村(それぞれ単独村制)
    • 前山村 ← 前山村、小宮山村
    • 岸野村 ← 根岸村、伴野村
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 明治26年(1893年)6月30日 - 臼田村が町制施行して臼田町となる。(1町22村)
  • 明治30年(1897年)3月9日 - 野沢村が町制施行して野沢町となる。(2町21村)
  • 明治32年(1899年)
    • 4月1日 - 中瀬村の一部(瀬戸)が平賀村に編入。
    • 7月18日 - 中瀬村が改称して中込村となる。
  • 大正8年(1919年)11月1日 - 中込村が町制施行して中込町となる。(3町20村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和29年(1954年)4月1日 - 野沢町・桜井村・岸野村・前山村・大沢村が合併し、改めて野沢町が発足。(3町16村)
  • 昭和30年(1955年)
    • 2月1日 - 栄村・海瀬村が合併して佐久町が発足。(4町14村)
    • 8月1日 - 臼田町・切原村が合併し、改めて臼田町が発足。(4町13村)
  • 昭和31年(1956年)
    • 8月1日 - 中込町・平賀村・内山村が合併し、改めて中込町が発足。(4町11村)
    • 9月30日(5町6村)
      • 大日向村が佐久町に編入。
      • 田口村・青沼村が合併して田口青沼村が発足。
      • 小海村・北牧村が合併して小海町が発足。
      • 畑八村・穂積村が合併して八千穂村が発足。
  • 昭和32年(1957年)4月1日
    • 臼田町・田口青沼村が合併し、改めて臼田町が発足。(5町5村)
    • 八千穂村の一部(東馬流)が小海町に編入。
  • 昭和33年(1958年)3月25日 - 小海町の一部(千代里)が八千穂村に編入。
  • 昭和34年(1959年)4月1日 - 臼田町の一部(羽黒下・曽原・平林)が佐久町に編入。
  • 昭和36年(1961年)4月1日 - 野沢町・中込町が北佐久郡浅間町・東村と合併して佐久市が発足し、郡より離脱。(3町5村)
  • 平成17年(2005年)
    • 3月20日 - 佐久町・八千穂村が合併して佐久穂町が発足。(3町4村)
    • 4月1日 - 臼田町が佐久市・北佐久郡望月町・浅科村と合併し、改めて佐久市が発足、郡より離脱。(2町4村)

変遷表

行政

歴代郡長

脚注

注釈

参考文献

  • 『長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003。 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から合併の経過を調べる
「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。

関連項目

  • 北佐久郡
  • 佐久地域
  • 志村氏 - 小笠原長清の孫、伴野時直の庶流、信濃国佐久郡志村にありて志村氏を称するようになった。(甲斐国志)

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