ジョゼフ・ロナルド・ベイメル(Joseph Ronald Beimel , 1977年4月19日 - )は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州エルク郡セントメアリーズ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
メディアによっては「バイメル」と表記される。
経歴
プロ入り前
1996年のMLBドラフト26巡目(全体773位)でテキサス・レンジャーズから指名されたが、契約には至らなかった。
パイレーツ時代
1998年のMLBドラフト18巡目(全体538位)でピッツバーグ・パイレーツから指名され、6月5日に契約。A-級エリー・シーウルブズ(現:マホーニングバレー・スクラッパーズ)でプロデビュー。17試合に登板して1勝4敗・防御率6.32だった。
1999年はA級ヒッコリー・クロウダッズでプレーし、29試合に登板して5勝11敗・防御率4.43だった。
2000年はA 級リンチバーグ・ヒルキャッツとAA級アルトゥーナ・カーブでプレー。AA級リンチバーグでは10試合に登板し、1勝6敗・防御率4.16だった。
2001年は開幕ロースター入りし、4月8日のヒューストン・アストロズ戦で先発起用されメジャーデビュー。5回を投げ、5安打2失点3四球3奪三振に抑え、メジャー初勝利を挙げた。2度目の登板となった4月11日のシンシナティ・レッズ戦からリリーフに転向。7月13日のデトロイト・タイガース戦から先発に復帰したが、8月31日のレッズ戦から再びリリーフに転向した。この年は42試合に登板し、7勝11敗・防御率5.23だった。
2002年も開幕ロースター入りし、53試合に登板。2勝5敗・防御率4.64だった。
2003年も開幕ロースター入りし、69試合に登板。1勝3敗・防御率5.05だった。オフの12月19日にパイレーツと1年契約に合意した。
2004年3月31日に放出された。
ツインズ時代
2004年4月11日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結んだ。AAA級ロチェスター・レッドウイングスで49試合に登板し、2勝4敗2セーブ・防御率6.97だった。9月5日にツインズとメジャー契約を結び、3試合に登板。防御率は43.20だった。オフの10月5日にDFAとなり、10月9日にFAとなった。
デビルレイズ時代
2004年12月14日にタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約を結んだ。
2005年はAAA級ダーラム・ブルズで開幕を迎え、7月3日にデビルレイズとメジャー契約を結んだ。2試合に登板後、7月13日にAAA級ダーラムへ降格した。8月31日にメジャーへ再昇格した。この年は7試合に登板し、防御率は3.27だった。オフの11月22日にDFAとなった。
ドジャース時代
2006年1月24日にロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。AAA級ラスベガス・フィフティワンズで開幕を迎え、5月1日にドジャースとメジャー契約を結んだ。この年は62試合に登板し、2勝1敗2セーブ・防御率2.96だった。
2007年は開幕ロースター入りし、自己最多の83試合に登板し、4勝2敗1セーブ・防御率3.88だった。
2008年2月1日にドジャースと1年契約に合意し、開幕ロースター入りした。この年は71試合に登板し、5勝1敗・防御率2.02だった。オフの10月30日にFAとなった。
ナショナルズ時代
2009年3月18日にワシントン・ナショナルズと契約した。開幕ロースター入りし、45試合に登板。1勝5敗1セーブ・防御率3.40だった。
ロッキーズ時代
2009年7月31日にライアン・マシューズ、ロビンソン・ファビアンとのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍した。移籍後は26試合に登板し、0勝1敗・防御率4.02だった。オフの11月9日にFAとなった。
2010年3月23日にロッキーズとマイナー契約で再契約し、AAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで開幕を迎えた。4月16日にロッキーズとメジャー契約を結んだ。この年は71試合に登板し、1勝2敗・防御率3.40だった。オフの11月1日にFAとなった。
ロッキーズ退団後
2011年1月28日に古巣・パイレーツとマイナー契約を結び、A 級ブラデントン・マローダーズで開幕を迎えた。4月15日にパイレーツとメジャー契約を結んだが、5月28日に左肘の故障で、15日間の故障者リスト入りした。7月15日に復帰した。この年は35試合に登板し、1勝1敗・防御率5.33だった。8月23日にDFAとなり、8月30日に放出された。
2012年2月6日にレンジャーズとマイナー契約を結んだが、開幕前の3月26日に放出された。5月1日にトミー・ジョン手術を受けた。
2013年5月18日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ。この年はAAA級グウィネット・ブレーブスでプレー。30試合に登板し、1勝2敗・防御率4.36だった。オフの11月5日にFAとなった。
マリナーズ時代
2014年1月24日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングでは8試合に登板し、0勝1敗・防御率3.68だった。3月28日にマリナーズとメジャー契約を結び、開幕ロースター入りした。4月1日のロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム戦で8回2死から約3年ぶりの登板を果たし、一塁牽制で一塁走者のデビッド・フリースを仕留め、0球で降板した。この年は56試合に登板し、3勝1敗・防御率2.20だった。
2015年3月6日にレンジャーズと1年契約を結んだが、オープン戦では3イニングで11失点を喫して23日に解雇された。4月2日にマイナー契約でマリナーズと再契約し、5月4日にメジャー契約となり25人枠入りする。この年は、2年連続50試合以上となる53試合に投げ、通算登板試合数が650を突破。47.1イニングで8本もホームランを被弾し、防御率も3.99まで上昇したが、一定の出場機会を得た。オフの11月2日にFAとなった。
独立リーグ時代
2017年4月24日に独立リーグ・アトランティックリーグのニューブリテン・ビーズと契約。6月25日に引退を表明した。
パドレス傘下時代
2021年6月11日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、44歳にして4年ぶりに現役復帰を果たした。AA級サンアントニオ・ミッションズで17試合、AAA級エルパソ・チワワズで14試合に登板し、合計で1勝2敗2セーブ2ホールド、防御率3.86の成績を残したが、メジャーへの昇格は果たせず、オフの11月7日にFAとなった。
人物
2005年のデビルレイズ所属時代から使用している背番号「97」は、息子・アンドリューの誕生年である1997年から。
詳細情報
年度別投手成績
背番号
- 53(2001年 - 2003年)
- 50(2004年)
- 97(2005年 - 2011年、2014年 - 2015年)
脚注
関連項目
- メジャーリーグベースボールの選手一覧 B
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)




