ディラック方程式(ディラックほうていしき、英: Dirac equation)は、フェルミ粒子を記述するディラック場が従う基礎方程式である。ポール・ディラックにより相対論的量子力学として導入され、場の量子論に受け継がれている。

歴史

非相対論的なシュレーディンガー方程式を、相対論へ対応するための拡張として、最初クライン-ゴルドン方程式が考案された。これは負のエネルギー解と負の確率密度の問題が生じた(この問題は、その後の場の量子論においては回避される)。また、クライン-ゴルドン方程式にはスピンが出てこない問題もあった(これはクライン-ゴルドン方程式に従うスカラー場がスピンを持たない粒子を記述する為である)。

ポール・ディラックは1928年にディラック方程式を基礎方程式とする(特殊)相対論的量子力学を見出した。ディラック方程式からは負の確率密度は生じず、スピンの概念が自然に現れる。

しかしディラック方程式からは、自然界には存在しないような負のエネルギーの状態が現れるという問題があった。オスカル・クラインは、ある種の強いポテンシャルのもとで正エネルギーの電子が負エネルギー状態へ遷移しうることを示して、理論から負エネルギー状態を完全に排除することが困難であることを指摘した。

1930年にディラックは「真空とは、負エネルギーの電子が完全に満たされた状態である」とするディラックの海の概念(空孔理論、hole theory)を考案した。ディラックの海では負エネルギーの電子が取り除かれた「空孔」が生じることがあるが、ディラックは当初この空孔による粒子を陽子であると考えた。後に空孔は陽電子であることが指摘された(ヘルマン・ワイル、ロバート・オッペンハイマーによる)。ディラックの海の空孔は正のエネルギーを持ち、反粒子に対応する。光による電子と陽電子の生成は、真空中の負エネルギー電子が光を吸収して正エネルギー状態へ遷移し、あとに空孔を残す現象として説明される。1932年のデヴィッド・アンダーソンによる陽電子の発見により、ディラックの海は現実の現象を説明する優れた理論とされた。

その後、リチャード・P・ファインマン等により拡張、解釈の見直しが図られた(相対論的な場の量子論)。その結果、ディラックの海を考えなくとも、電子と陽電子を対称に扱うことができるようになった。

ディラック方程式

ディラック方程式は = 1 , c = 1 {\displaystyle \hbar =1,c=1} とする自然単位系では

と表される。ψ は4成分スピノルの場(ディラック場)である。

m は ψ の質量である。μ=0,1,2,3 についてはアインシュタインの縮約記法を用いる。微分 μ {\displaystyle \partial _{\mu }}

である。 γ μ {\displaystyle \gamma ^{\mu }} ガンマ行列(ディラック行列)と呼ばれる 4×4行列で

を満たす。 η μ ν = d i a g ( 1 , 1 , 1 , 1 ) {\displaystyle \eta _{\mu \nu }=\mathrm {diag} ( 1,-1,-1,-1)} はミンコフスキー空間の計量テンソルである。ディラック方程式は3次元的に書けば

となる。移項して左から γ 0 {\displaystyle \gamma ^{0}} を掛ければ

と表すことができる。 ただし α j = γ 0 γ j , β = γ 0 {\displaystyle \alpha ^{j}=\gamma ^{0}\gamma ^{j},\beta =\gamma ^{0}} である。ここで H = i α β m {\displaystyle H=-i{\boldsymbol {\alpha }}\cdot \nabla \beta m} はディラックのハミルトニアンと呼ばれる。

ディラックの着想

相対論的な量子力学の基礎方程式として考案されたクライン-ゴルドン方程式

は、時間について2階の微分方程式であることから負の確率密度を生じ、確率解釈が困難となる問題を抱えていた。これを時間について1階の微分方程式

に帰着させるべく、ディラックは空間成分についての2階微分を1階微分に分解した関係式

を満たすように4つの係数 α=(α1, α2, α3)、β を与えることを考えた。このとき、αi(i=1,2,3)、βに要求される代数関係は

となるが、こうした性質を満たすには係数は行列でなくてはならない。

ローレンツ共変性

ディラック方程式は相対論的な方程式であり、ローレンツ共変性を持つ。

即ち、ローレンツ変換

x μ x μ = Λ μ ν x ν {\displaystyle x^{\mu }\rightarrow x'^{\mu }=\Lambda ^{\mu }{}_{\nu }x^{\nu }}
ψ a ( x ) ψ a ( x ) = [ D ( Λ ) ] a b ψ b ( Λ 1 x ) {\displaystyle \psi _{a}(x)\rightarrow \psi '_{a}(x)=[D(\Lambda )]_{a}{}^{b}\,\psi _{b}(\Lambda ^{-1}x)}

(μ,ν=0,1,2,3は時空の4成分、a, b = 1,2,3,4 はスピノルの4成分)に対して、

( i γ μ μ m ) ψ ( x ) = 0 {\displaystyle (i\gamma ^{\mu }\partial _{\mu }-m)\psi '(x)=0}

となる。ディラックスピノルの変換性をあらわす4×4行列 D(Λ) は

[ D ( Λ ) ] a c [ γ μ ] c d [ D ( Λ ) 1 ] d b = ( Λ 1 ) μ ν [ γ ν ] a b {\displaystyle [D(\Lambda )]_{a}{}^{c}\,[\gamma ^{\mu }]_{c}{}^{d}\,[D(\Lambda )^{-1}]_{d}{}^{b}=(\Lambda ^{-1})^{\mu }{}_{\nu }[\gamma ^{\nu }]_{a}{}^{b}}

によって定まる。

ワイル表示においては行列式 1 の2×2行列 M を用いて

D ( Λ ) = ( M 0 0 ( M ) 1 ) {\displaystyle D(\Lambda )={\begin{pmatrix}M&\mathbf {0} \\\mathbf {0} &(M^{\dagger })^{-1}\\\end{pmatrix}}}
M σ μ M = ( Λ 1 ) μ ν σ ν {\displaystyle M\sigma ^{\mu }M^{\dagger }=(\Lambda ^{-1})^{\mu }{}_{\nu }\sigma ^{\nu }}

と書くことができる。例えば、z-方向のブーストの場合は

Λ μ ν = ( cosh β 0 0 sinh β 0 1 0 0 0 0 1 0 sinh β 0 0 cosh β ) {\displaystyle \Lambda ^{\mu }{}_{\nu }={\begin{pmatrix}\cosh \beta &0&0&\sinh \beta \\0&1&0&0\\0&0&1&0\\\sinh \beta &0&0&\cosh \beta \\\end{pmatrix}}}
M = ( e β / 2 0 0 e β / 2 ) {\displaystyle M={\begin{pmatrix}e^{-\beta /2}&0\\0&e^{\beta /2}\\\end{pmatrix}}}

となる。

参考文献

原論文
  • P.A.M. Dirac (1928). “The Quantum Theory of the Electron”. Proc. R. Soc. A 117 (778): 610-624. doi:10.1098/rspa.1928.0023. http://rspa.royalsocietypublishing.org/content/117/778/610. 

関連項目

  • 相対性理論
  • 量子力学
  • 場の量子論
  • 運動方程式
    • クライン=ゴルドン方程式 - スピン0の相対論的ボース粒子。スカラー場。
    • マクスウェル方程式 - スピン1、質量0の相対論的ボース粒子。ベクトル場。
    • プロカ方程式 - スピン1、質量が0でない相対論的ボース粒子。ベクトル場。
    • ラリタ=シュウィンガー方程式 - スピン3/2。ベクトル・スピノル場(ラリタ=シュウィンガー場)。
    • アインシュタイン方程式 - スピン2。
    • マクシモン - 修正ディラック方程式

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