片倉 邦憲(かたくら くにのり)は、江戸時代後期の伊達家重臣。通称は備中、伊豆、小十郎。白石片倉氏12代当主。
略歴
文政元年(1818年)、11代当主・片倉宗景の子として誕生。幼名は三之助。諱は初め景徳(かげのり)、のちに仙台藩主伊達斉邦より偏諱を受けて邦憲とした。正室は伊達宗衡の娘愛姫。子は片倉景範(かげのり)。
元治元年(1864年)、父の隠居により家督相続し白石城主となる。
明治元年(1868年)、戊辰戦争の敗戦により、知行1万8000石と代々の居城の白石城を没収され、僅か蔵米55石が支給されることとなる。邦憲は家臣と相談の上で、白石按察府に蝦夷地開拓嘆願書を提出する。明治2年(1869年)、新政府より幌別郡の支配を命じられる。
明治19年(1886年)、旧領白石で病没。
脚注
参考文献
- 蝦名賢造著「北方のパイオニア」
関連項目
- 北海道の分領支配
- 登別市郷土資料館




