高橋 弥太郎(たかはし やたろう、1883年(明治16年)3月27日 - 1945年(昭和20年)10月20日)は、大正から昭和時代前期の実業家、政治家。樺太庁豊原市長。
経歴・人物
長野県東筑摩郡松本(現松本市)出身。松本商業学校を卒業する。1906年(明治39年)5月、樺太に渡り、豊原実業懇話会および信用組合設立に参画した。豊原町会議員当選を皮切りに、1931年(昭和6年)2月、豊原町長に就任し、市制施行後の1937年(昭和12年)9月に市長として引き続き再選した。町長、市長を12年間、無給で勤めた。
1942年(昭和17年)2月に退任し、翌年4月、樺太配電・樺太魚菜配給各社長に就任した。のち大泊町にて洋服店を経営した。1945年(昭和20年)8月22日、ソ連の南樺太侵攻からの避難船、小笠原丸に乗船していた妻娘嫁孫の一家9名を三船殉難事件で喪った。10月20日に死去。
栄典
- 1938年(昭和13年)5月7日 - 勲七等瑞宝章
- 1939年(昭和14年)5月 - 紺綬褒章
脚注
参考文献
- 帝国自治協会『全国市長銘鑑 : 自治制実施五十周年記念』帝国自治協会、1938年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1458365。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1230025。
- 出口吉雄『敗戦日記』 第11号、樺太豊原会〈鈴谷〉、1993年、79-88頁。
- 出口吉雄『高橋弥太郎サハリンに死す』 第5号、樺太豊原会〈鈴谷〉、1987年。



