大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)は、大阪府藤井寺市古室にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。
概要
大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である。1984年(昭和59年)に藤井寺市教育委員会による調査が実施されている。
墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列や、形象埴輪(家形・蓋形・盾形・靫形・冑形埴輪など)が認められる。墳丘くびれ部両側には造出を付すほか、墳丘周囲には馬蹄形の周濠が巡らされる(空濠、現在は埋設保存)。埋葬施設は明らかでないが、後円部墳頂の陥没坑から盗掘に遭っていると見られるが石材は認められず、粘土槨や木棺直葬と伝わる。副葬品も詳らかでないが、伝出土鏡1面が宮内庁書陵部に所蔵されるほか、伝出土鏡1面が知られ(現在は所在不明)、伝出土刀剣類が旧所有者から東京の博物館に寄贈されたという。なお北側には赤面山古墳があり、大鳥塚古墳の陪塚と推測される。
この大鳥塚古墳は、古墳時代中期の5世紀前葉頃の築造と推定される(赤面山古墳も同時期)。古市古墳群では大王墓の仲津山古墳(藤井寺市沢田)と同時期とされ、巨大前方後円墳(大王墓)に次ぐ大型前方後円墳として、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳になる。
古墳域は1956年(昭和31年)に国の史跡に指定されている。
遺跡歴
- 1900年(明治33年)、濱田耕作による踏査報告。
- 1934年(昭和9年)、梅原末治による報告。
- 1956年(昭和31年)9月22日、他の古墳4基と合わせて「古室山古墳群」として国の史跡に指定。
- 1981年(昭和56年)、墳丘測量調査(藤井寺市教育委員会)。
- 1984年(昭和59年)、水路改修工事予定に伴う調査(藤井寺市教育委員会)。
- 1987年(昭和62年)、後円部外堤想定地における調査(藤井寺市教育委員会)。
- 1990年(平成2年)、水道排水管敷設工事に伴う調査(藤井寺市教育委員会)。
- 2000年(平成12年)、前方部南西隅における調査(藤井寺市教育委員会)。
- 2001年(平成13年)1月29日、古室山古墳群と他の古墳を合わせて、国の史跡の指定名称を「古市古墳群」に変更。
- 2015年(平成27年)、航空レーザー測量図作成(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議)。
墳丘
墳丘の規模は次の通り。
- 墳丘長:110メートル
- 後円部 - 3段築成。
- 直径:72メートル
- 高さ:12メートル
- 前方部 - 2段築成。
- 幅:50メートル
- 高さ:6メートル
陪塚
本古墳では、次の1基が陪塚(陪冢)と推定される。
- 赤面山古墳(せきめんやまこふん)
- 所在地:藤井寺市古室2丁目(北緯34度34分2.10秒 東経135度36分32.75秒)
- 形状:方墳
- 規模:一辺15メートル
- 史跡指定:国の史跡「赤面山古墳」(史跡「古市古墳群」のうち)
- 埋葬施設等の詳細は明らかでない。
文化財
国の史跡
- 大鳥塚古墳(史跡「古市古墳群」のうち)
- 1956年(昭和31年)9月22日、古室山古墳・赤面山古墳・大鳥塚古墳・助太山古墳・鍋塚古墳を包括する「古室山古墳群」として国の史跡に指定。
- 2001年(平成13年)1月29日、古室山古墳群と他の古墳等6基を統合、青山古墳・蕃所山古墳を追加指定して、指定名称を「古市古墳群」に変更。
脚注
参考文献
- 史跡説明板(藤井寺市、2016年設置)
- 天野末喜「大鳥塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『古室山・大鳥塚古墳 -附章 狼塚古墳-(藤井寺市文化財報告 第41集 -古市古墳群の調査研究報告VI-)』藤井寺市教育委員会事務局、2017年。
外部リンク
- 古市古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 大鳥塚古墳と赤面山古墳 - 藤井寺市ホームページ


